ジャパン・ヘルスケアビジネスコンテスト2021グランプリに学ぶ、マイノリティ市場のヘルスケア

健康需要の急速な拡大と、ヘルスケア市場への各社の参入が相次ぐ近年、健常者向けの健康維持・増進を訴求した、いわゆる1次予防領域はレッドオーシャン。様々な商品・サービスがすでに市場に溢れ返っている。

一方で再発防止や後遺症予防など、治療後や持病者を対象にした3次予防領域は未だブルーオーシャンだ。疾患・ステージ・予後などによってニーズが異なるためマイノリティ市場にはなるが、スモールマス戦略を取る企業が増える中、今後の活況が見込まれる期待の市場。

ヘルスケアにおけるマイノリティ市場には、LGBTQ、2次予防、(防災などの)特殊な環境などが挙げられるが、今回は3次予防に着目。先日開催されたジャパンヘルスケアビジネスコンテスト2021(JHeC2021/経産省)グランプリのプロダクトを参考に、マイノリティ市場の製品事例を見てみよう。

喉頭手術、命と引き換えに失った声の再生に着目(サイリンクス )

JHeC2021アイディアコンテスト部門でグランプリを受賞したのは、東大院生の研究チームが開発した電気式人工喉頭「サイリンクス 」。声を失った人が再び話せるようになるウェアラブルデバイスで、昨年はマイクロソフト(米)主催の学生を対象にしたIT世界大会「イマジンカップ2020」で準優勝に輝くなど、世界的にも高い評価を得ている。チームリーダーの竹内雅樹氏に話を聞いた。

声を失う人:日本4千人、世界30万人

喉頭がんなどが原因で声帯を失う(=声を失う)人の数は、毎年世界で30万人、日本で4,000人とされている。喉頭がんは男性に多く、50代以降で増える。喉頭摘出者の男女比は10:1で、罹患も摘出も圧倒的に男性に多い。

女性は引きこもりがちに

女性の喉頭摘出者は少ないが、竹内氏によると、声を失った後の精神状態は男女間で顕著な違いが見られ、女性は外出を嫌がり自宅にこもりがちになる傾向が強いという。

アイデンティティの一部でもある声を失ったことはもちろん、言いたいことをうまく伝えられないストレス、リアルタイムで感情を家族や友人とシェアできないストレス、人と思うようにコミュニケーションできないストレスなどで滅入ってしまうのが理由で、特に家族など同居人がいる女性ほどストレスを感じやすいという。

声を取り戻す従来の方法

喉頭摘出後は声帯を失うが、専門機器や訓練によって声を取り戻すことはできる。方法は3つ参考:銀鈴会

  • 食道発声:3〜6ヶ月の発声訓練が必要。発声には体力を使う
  • シャント発声:手術が必要。術後は定期的なメンテナンスが必要
  • ELと呼ばれる電気式人工喉頭を用いて発声:話すときは機器を常に喉付近にあてなくてはいけない

だがこれらは、専門手術や定期的なメンテンナンスが必要だったり訓練に時間と体力を要するなど、患者が敬遠したくなるようなデメリットが多い。ELという専門機器については20年も前からあるものの、定着はせずユーザーは3割程度だという。不自然な機械音で発声されること、常に喉にあてる必要があるため話す間はずっと片手が塞がれてしまうこと、デザイン性に欠けていることなどが理由のようだ。

それぞれの発声法と聴こえ方を比較できる動画があるので見てみよう。

「手話を習得すれば、人とコミュニケーションできるようになるのでは?」と竹内氏に聞くと、「手話は先天的に話せない人が使うのが主で、後天的に、しかも高齢になってから声を失った人が習得するのはとても難しい」。

喉頭がんは上部グラフの通り高年齢での発症が多いため、この年齢で手話を完全にマスターするのは確かに厳しい。実際に喉頭摘出後に手話を使っている人は、竹内氏が見てきた限りではいないという。

声を再生し、コミュニケーション不便を解消

失った声を再生する方法がゼロというわけではないものの、既述の通りいずれもデメリットがあり、術前と同様のQOLを取り戻すまでには至らない。訓練も手術も必要としないELは患者側の負担がなく利便性が高いようにも思えるが、水筒のようなデバイスを常に喉にあてるとう方法では、街中で使うには抵抗がある。

そこに着目したのがサイリンクスだ。AIを用いた独自のアルゴリズムを用い過去のユーザーの元の声を解析し、その声を再現する振動パターンを作り出す。従来のELのような機械音よりも、より人に近い声を発生でき、さらに首に巻きつけるウェアラブルタイプなので、手が塞がれる不便がなくストレスフリーな設計だ。目指したのは、「より人に近い声を出せること」と「装着しやすく、付けていても違和感がない軽さ」。

ファッション性のあるデザインも特徴的。一見するとカラフルなヘッドフォンを首にかけているようだ。街に出て奇異な目で見られることはまずない。さらにユーザーの好みに合わせ、デバイスのカバー部分のカラーを選べるのも嬉しい。デジタルデバイスに苦手意識のある女性ユーザーでも、自ら「使いたい」と思えるデザインだ。

このようにデザイン性に優れたウェアラブルデバイスだが、実は開発初期段階では、性能重視で見た目にはこだわっていなかったという。だがプロトタイプを患者に見せたところ、「こんなデザインでは着けたくない」。そこでチームにデザインエンジニアを迎え、現在のデザインにたどり着いた。実際にユーザーからは高評価の反応を得ているという(画像上:初期デザイン,下:現在)。

【出典】サイリンクス(初期のデザイン)

【出典】サイリンクス (現在のデザイン)

今後の展開、医療機関への導入

各ビジネスコンテスト受賞やメディアによる報道を機に、サイリンクスを使いたいという問い合わせは増加。説明を受けた女性患者の中には、画期的なデバイスの登場に泣いて喜んだ人もいたという。

竹内氏らは今後も患者とのリアルな触れ合いを続けながら、改良を重ねていくとのこと。個々の好みに合わせた個性ある声を再生できる日は近いだろう。

将来的にはD2Cでの販売も考えているが、サイリンクスを必要とする人たちに、よりスピーディーに届けられるよう、まずは医療機関を通じた展開を進める。医師が患者に喉頭摘出を宣告する際に「声を失った後は、このデバイスを使えば声を取り戻せる」と患者に勧めることを想定しており、すでに導入を検討している医療機関も出てきているという。

マイノリティ市場の可能性

術後や治療後の3次予防領域の不便・不満は、世の中を見渡すといまだに多く取り残されている。サイリンクスはまさにそこに着目したデバイスで、企業・医療・社会が置き去りにしてきた領域だ。マス市場と比べると限定的でマイノリティな市場ではあるものの、未開拓領域ということもありポテンシャルは大きい。今のところマイノリティ市場のメインプレイヤーはベンチャーだが、最近は、スモールマス戦略に切り替える大手・中堅企業も関心を寄せ始めている。ダイバーシティやSDGsの浸透も、この流れを加速させるだろう。今後の期待市場だ。

 

 

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