ろう者と筆談してはいけない、手話と医療の常識・非常識
聴覚に困難のある人とのコミュニケーション手段として広く用いられている筆談。しかし、生まれつき耳が聞こえない「ろう者」にとって、筆談は必ずしも最適な方法とは限らないようです。山本基佳医師が、手話と医療現場をめぐる意外な誤解や課題について紹介します。
本当に通じているのか、その筆談
はじめまして。学生時代に漫画『ブラックジャック』が大好きだった救急医の山本です。母語(第一言語)が日本語のみなさん。みなさんは手話(日本手話)はできますか? できるとしたら、あいさつ、自己紹介、片言の会話、日常会話、医療現場でのやりとり、手話通訳者レベル、どこまでできるでしょうか。
様々な定義がありますが、聞こえない人の中で、日本手話を第一言語として日常的に使っている人を「ろう者」と言います(※1)。私は最近まで手話であいさつすら満足にできず、ろう者を診療するときに、よりどころとしていたのは筆談でした。紙とペンのほか、パソコン画面上にタイピングしてリアルタイムで会話をしたり、定型の問診事項をあらかじめ紙に印刷しておきそれを指さしたりして問診してきました。同伴の手話通訳者がいる場合にも、できるだけろう者に視線を向け、直接ろう者と筆談するように心がけてきました。手話通訳者を介すると、医師である私と手話通訳者が話す形になるので、患者であるろうのご本人がなおざりになってしまうと思っていたからです。
私はキーボードを見ずにタイピングをするタッチタイピングが比較的得意で、一度も手元を見ずにほぼ正確な文章を入力することができます。一方でペンで書く字は下手で、謙遜ではなく自分で書いた字が自分で読めず、思わず『字が汚い!』という本(※2)を読んだほどです。そのため、字の読みやすさ(読みにくさ)や手書きのスピードを考えて、ろう者とはパソコンの画面上でやりとりをしてきました。もちろん、常に視線は患者さんに向けて、「画面とにらめっこ」にならないようにして、患者さんに寄り添ってきたつもりでした。ろう者にも聴者にも、これまで「診察中に一度も顔を見てもらえなかった」と言われたことはありません。
高いと思うな識字率(割合)
ろう者にはパソコンを使った筆談がベストだと思っていました。しかし、この考えは間違っていました。なぜならろう者の第一言語は日本語ではないからです。
ろう者、特に高齢のろう者の中には、過去の差別的な考えのせいで、十分な日本語教育を受けたくても受けられなかった方たちがいらっしゃいます。この方たちの中には日本語を聞くこと、話すことはもちろん、読み書きが十分にできない方がいます。識字率(割合)が高い日本で、常用漢字はおろか、ひらがな、カタカナでも満足に読み書きできない方がいます。恥ずかしながら私は医師になりかなりの年月が経ってからこの事実を知りました。
驚くとともに、これまでよかれと思っておこなっていた筆談が、実は一部のろう者には伝わっておらず、ときに困らせていたと遅まきながら気づきました。そして、医療現場に手話やろう文化をもっと周知させなければいけないと意識するようになりました。
第一言語は日本手話で、日本語は第二言語という人々
日本語教育を受けてきたとしても、ろう者の第一言語が日本語だとは限りません。ろう者の家庭で生まれ育ち、手話を日常的に使っている方の場合、第一言語は日本手話で、第二言語が日本語、という方がいます。日本で、日本語に囲まれて暮らしているのに、日本語が第二言語であるということがわかりにくかったり、手話そのものをひとつの言語として扱うことに違和感を覚えたりする方もいらっしゃると思います。しかし、手話は決して日本語の補助をする身ぶりやおまけではなく、日本手話というものがひとつの立派な言語なのです。
夢の中でろう者はどうやって話しているのか?
みなさんはNHKの手話ニュースをご覧になったことはあるでしょうか。手話ニュースでは音声の日本語のほかに、字幕と手話でニュースが話されます。音声、字幕、手話、この中でろう者が一番情報を得られるのはどれでしょうか。それは、字幕ではなく手話です。画面を見ればどちらも目には入るでしょうが、日本語の字幕はわかりにくいので補助的に見るだけで、手話の方がニュースがすっと頭に入ってくるといいます。
もっと言うと、ろう者は、夢を見るとき、夢の中ではどの言語で話しているのでしょうか。答えは日本手話です。手話で会話する夢を見ます。夢で話す言語を第一言語と言わず、なにを第一言語というのでしょうか(もちろん第一言語の定義は、夢で話す言語ではありませんが)。ちなみに寝言も手話だと聞いたことがあります。
まとめ
- 筆談は、してもよいがときにベストな選択肢ではない。
- ろう者の第一言語は手話であり、日本語は第二言語に過ぎない。
【執筆】山本基佳
相澤病院 救急科 医長。中高生の頃にマンガ『ブラックジャック』と海外ドラマ『ER緊急救命室』に影響され医学部を受験するも不合格。1浪して東京慈恵会医科大学へ。その後は松本市の相澤病院で初期研修をして救急医になる。書籍『無名の医療者が医学書を出版するまでの道(メディカ出版)』『季節の救急 第2版(日本医事新報社)』などの単著を出版後、京都大学大学院で専門職学位課程(社会健康医学修士)を修了。コロナ禍に筆談でろう者を診療していたが、実はまるで通じていなかったとあとでわかり衝撃を受ける。今は手話と医療に関する本を出版したい。
・本内容はすべてのろう者、聴覚障害者やそのご関係者にあてはまるものではありません。
・(※1)NHKテキストみんなの手話.2025年4月~6月/10月~12月,2025,12.
・(※2)新保信長.字が汚い!.東京,文藝春秋,2020,240p.
【提供】 メディカLIBRARY
『メディカLIBRARY』は、医療看護系出版社のメディカ出版が長年にわたり培ってきた知見とコンテンツを活かした、看護師のための「学び」メディア。動画や記事を通じて、実践的な知識を効率よく学べます。メディカ出版は、出版物やサービスを通じて医療従事者の学びを支える一方、そのメディア基盤とネットワークを活かし、「メディア・マーケティング支援サービス」を展開。記事制作やタイアップセミナーの開催、アンケート調査、広告などを通じ、ヘルスケア関連企業の課題解決や医療現場との接点づくりを支援しています。
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