政策レベルで進むプレコンセプションケア、企業に求められる新たな役割と健康経営の考え方とは?
本稿は、産業医で心療内科医の田中奏多医師による連載記事です。テーマは「プレコンセプションケア」。前回は、プレコンセプションケアの基礎知識や課題について解説しました。今回は、プレコンセプションケアの新たな担い手となる”企業”に焦点を当て、企業に求められる役割や、企業でプレコンを根付かせるための考え方やハウツーを解説します。同氏は「プレコンは”産む支援”ではなく、”人生全体を支える支援”」だと言います。
目次
政策レベルで後押しが始まる「プレコンセプションケア」、企業の役割とは?
プレコンは“医療的ケア”から“政策”へ
プレコンセプションケア(Preconception Care、以下プレコン)は、これまで主に“妊娠を望む人に対する医療的ケア”として位置づけられ、母子の健康管理を目的とした啓発や診療が中心に行われてきました。しかし近年は、国の政策として明確に位置づけられ、企業の健康経営とも結びつきながら、新たなフェーズへと進化しています。2025年5月には、こども家庭庁が「プレコンセプションケア推進5か年計画」を策定し、その中で、健康経営度調査等に回答する企業の80%がプレコンに関する取組を実施することを目指す目標が掲げられました。さらに、2024年度の経済産業省「健康経営度調査」にはプレコンに関する設問が新設され、プレコンを、医療領域にとどまらず“働く世代の健康基盤”として社会全体で推進していく姿勢が示されました。
企業の役割は“プレコン空白期”を埋めること
こうした政策の背景には、働く世代に生じている“プレコン空白期”の課題があります。学校教育の中では、保健や性教育の一部として健康や性と生殖に触れる機会がありますが、卒業後はそうした学びが途切れがちです。特に20〜40代は、仕事のピークと心身の変化、ライフイベントが重なる時期であるにもかかわらず、自分の身体や将来の健康について落ち着いて考える場が十分に用意されていません。いわば“プレコン空白期”を埋め、働く人が自らの健康と向き合える基盤を整えることこそ、企業に求められる新しい役割といえます。
プレコンを健康経営に組み込んで職場で根付かせるには?
健康経営は「制度の導入」から「文化へ根付かせる」フェーズへ
2025年以降の健康経営は、“制度の有無を問う段階”から“組織文化として根づかせる段階”へと評価軸が本格的に移行しています。近年、企業では女性の健康に対する関心が高まり、フェムテック導入や女性向け健康セミナーなどの取り組みが着実に増えています。しかし、実際には“開催しただけ、導入しただけ”で終わり、現場の文化形成や行動変容につながっていないという課題も見えてきました。単発的な施策だけでは文化として定着しづらく、場合によっては施策の乱発・断片化となり、“制度疲れ”を招く可能性もあります。だからこそ、健康経営の本質は制度を導入することではなく、社員が主体的に健康を管理できる基盤を整備することにあります。プレコンはまさに、社員が主体的に健康を向上させる力を育むという、健康経営の核心を担う取り組みであり、企業文化として根づくことで真価を発揮します。
プレコンはなぜ誤解される?従業員の抵抗を生まない伝え方
プレコン訴求対象の中心は、妊娠の可能性はあるものの“いま”は妊娠を希望していない層です。“妊娠することを前提”とした情報ばかりを届けてしまうと、聞き手との前提がずれ、プレコンそのものへの抵抗感につながってしまいます。本来のプレコンは、“妊娠を前提とした準備”に限られるものではありません。心身の状態を理解し、食事・睡眠・運動・ストレスを整えることで、“いま”の働きやすさやパフォーマンスを高めると同時に、”未来”まで働き続けるための健康を維持する力を育む取り組みでもあります。こうした“自己管理力”はキャリア形成を支える基盤であり、男女やライフステージを問わず、全ての社員の成長と活躍に直結する力です。
一方で、プレコンは“妊娠や出産をすすめる取り組み”として誤解されやすい側面があるため、企業にとって「扱いづらいテーマ」と捉えられてしまう課題があります。特定の性やライフステージを前提としたメッセージは個人のプライベートな領域に踏み込んだ印象を与えかねず、関心があっても職場で浸透しにくい要因になります。さらに、“年齢による妊娠リスク”を強調し、対応策を示さないまま医療者などが一方的に知識を説明してしまうと、社員に心理的負担を与え、かえって受け止めにくさを生むことになります。大切なのは、社員が受け取りやすいように「今後の人生をどう描くか」「日々のコンディションや働き方をどう整えるか」といった視点を踏まえて伝えることです。無理なく“自分のこと”として考えられるように情報を伝え、考える場を設けることが、社員の意識変容と文化定着の第一歩になります。
「全社員向けの研修」と「管理職向けの研修」で進める職場での実装
職場でプレコンを根づかせるためには、まずは経営者が“健康とライフデザインを大切にする企業文化”を明確に打ち出すことが欠かせません。トップが健康経営やプレコンを経営戦略として位置づけて発信することで、施策が単なる制度にとどまらず、社員の行動や意識を実際に動かす力になります。文化づくりを進めるうえで、具体的な取り組みとして有効なのが、全社員向けの「プレコン・リテラシー研修」と管理職向けの「プレコン・リーダー研修」です。
- 全社員研修:「妊娠」ではなく「自分の体を知る」を入り口にしたプログラム
全社員研修では、睡眠・栄養・ストレス・ライフプランなど日々の生活に直結するテーマを扱い、“妊娠のため”ではなく“自分の体を知る”ことを入り口にします。新入社員研修や昇進時研修に組み込むことで、キャリアの節目と自然に結びつけることができます。 - 管理職研修:「部下を支える」視点のプログラム
管理職研修では、部下の体調変化やライフイベントを理解し、柔軟な働き方を共に考える姿勢を育みます。筆者はこれまで、DeNAでの健康経営セミナーや企業向けの管理職研修を通じ、産業医としてプレコンを現場で伝えてきました。研修後には、「部下への支援を見直すきっかけになった」「家族にも共有したい内容だった」という声が寄せられています。こうした上司の理解や支援の広がりが、職場の心理的安全性を高め、離職率の低下にもつながります。
プレコンを組織に根づかせるためには、知識の共有にとどまらず、チームの関係性や働き方を整えていく視点が求められます。企業におけるプレコンは、働く人が自分の未来を考え、健康と向き合うための“企業と働く人が共につくる文化”です。その土台となるのは、組織としての明確な姿勢です。
職場から地域社会へ──プレコンが促す好循環と文化定着
こうした研修による気づきや行動の変化は、職場だけにとどまりません。社員が得た知識や気づきは家庭や周囲の人との会話や行動へ広がり、職場の外にも自然と伝わっていきます。同僚同士の関係性の変化も相まって、健康について話しやすい雰囲気も職場から家庭、社会へと広がっていきます。個々の行動変容の連鎖によって、“健康とライフデザインを大切にする文化”が社会全体に少しずつ根づいていきます。企業でのプレコンの取り組みは、その価値観を社会に広げていく起点となります。
プレコン × 健康経営 = “自分らしく働き続ける” 社会のインフラづくり
改めて強調したいのは、プレコンを“妊娠に備えるための支援”としてだけ捉えるのではなく、働く人の「人生全体を支える健康基盤づくり」として位置づける重要性です。働く人が人生のどんな局面でも安心して力を発揮し続けるためには、妊娠や出産に限らず、育児・介護・病気など、誰にでも訪れるライフイベントを越えて働ける環境が欠かせません。こうした局面を越えて働き続けられる環境を整えることこそ、企業が担うべき役割の一つです。

【画像】生涯にわたる健康と就労継続を支えるプレコンセプションケア基盤モデル、筆者作成
この視点に立つと、健康経営や働き方改革は「将来の健康とキャリアを支える仕組み」として再定義されます。長時間労働の是正や休暇取得の促進、家事・育児との両立支援などは、単なる制度ではなく、働き続ける力を育てる企業基盤そのものです。こうした取り組みを通じて一人ひとりの自己管理力が高まり、社員が自分らしく働ける文化が育っていきます。企業がこの考え方を施策に取り入れることは、社員が自分らしく働き続けられる文化づくりへとつながります。制度が根づき文化へと発展したとき、その積み重ねは企業価値や競争力を高め、やがて社会全体の持続可能な基盤づくりへとつながっていくでしょう。
【提供元】 田中奏多(たなか かなた)
心療内科医・産業医として、メンタルヘルスのプライマリケアを担う「ベスリクリニック」を共同創設。女性の心身に寄り添い、“薬に頼りすぎない心の医療”を実践している。ハーバード大学TMSコース修了後は、企業の健康経営支援、うつ病に対するTMS治療、休職者の復職支援、女性のキャリア・ライフプラン支援まで幅広く手がける。産業医としては、女性ホルモンとメンタル・生産性の関係やDE&I推進を領域とし、企業研修にも積極的に登壇。2025年にはDeNAで実施したプレコンセプションケアセミナーで満足度100%を獲得し、日本生産性本部「次世代女性リーダー育成研修」を担当。また、2025年11月には WOMAN’S VALUE AWARD 個人賞 を受賞した。

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