女性の社会進出を歴史と統計で確認 日本・世界の現状と課題 (1/4)

2019年12月、フィンランドで世界最年少の34歳の女性首相が誕生した。その若さと“女性であること”の衝撃は大きく、日本でも瞬く間に話題となった。一方、同年スイスの国際機関が行った「社会進出をめぐる各国の男女格差について」の調査結果において、日本は153ヵ国中121位にランクイン。過去最低の記録を更新する結果に。世界的に女性の社会進出が進んでいるが、日本における現状は芳しくない。女性の社会進出の歴史や世界統計を見ながら、日本の女性社会進出の現状と課題について考えていこう。

歴史から読み解く女性の社会進出

世界最年少の女性首相が誕生したフィンランドは、世界で初めて女性に選挙権と被選挙権を認めた国でもある。その翌年には19名もの女性国会議員が生まれており、女性の社会進出に向けた土壌は長い時間をかけて形成されてきた。では日本の女性の社会進出をめぐる歴史はどうだろうか。

女性の社会進出はいつから?(150年前〜現代)

明治維新を皮切りに女性の活躍の場が広がる

1860年代(約150年前)、女性の仕事は農作業・家事・育児が中心だった。しかし1868年、明治維新が起こると女性の働き方は多様化していく。製糸工場で働く女性を皮切りに、教師・医師・看護婦といった専門職に女性が就きはじめるようになった。1912年~1926年の大正時代には、第一次世界大戦による経済成長で新分野の仕事が生まれ、女性の就労機会は広がっていった。事務員・タイピスト・電話交換手・百貨店店員などの仕事に就く女性=“職業婦人”が登場した。

戦争や恐慌で労働力不足の時代へ

1929年にアメリカで起きた世界恐慌は日本も大きく影響を受け、昭和恐慌が発生。続く戦争によって国内の男性が急激に減り、女性も様々な仕事を請け負うようになる。

終戦をきっかけに整備が進む

1945年に終戦を迎えると、同年、婦人参政権が実現。1947年には賃金や就労時間などの労働条件に関する最低基準を定めた「労働基準法」が公布された。1954年~1973年の高度経済成長期には事務職が大幅増加し、短時間労働で働くパートタイマーが出現。職場での男女格差が問題になると、その対策として1985年には「男女雇用機会均等法」が制定された。この法律では、採用・昇給・昇進・退職・解雇といった職場における男女の均等な機会と待遇の確保が定められ、職場での男女格差が世間的に認識されるきっかけともなった。

多様化する女性のライフサイクル

経済発展のなかで変化したのは働き方だけにとどまらず、女性のライフスタイルも大きく変化。育児や介護と仕事の両立を支援するため、1995年には「育児・介護休業法」が成立した。これにより民間事業主は雇用した男女労働者から育児や介護の申請があった場合、雇用関係を継続したまま、一定期間の休暇を与えることが義務付けられた。2015年には“女性活躍推進”を最重要政策の一つとした安倍内閣によって「女性活躍推進法」が成立。企業に対して、女性の活躍に関する情報といった内容を含む“事業主行動計画”の策定を義務付けた。

  • 《女性の労働に関する法律の変遷》
    1947年:「労働基準法」施行
    1986年:「男女雇用機会均等法」施行
    1992年:「育児休業法」施行
    1995年:「育児休業法」から「育児・介護休業法」へ改正し、施行
    2015年:「女性活躍推進法」施行

さらなる女性の活躍を目指し、目標は「2020年30%」

政府は第4次男女共同参画基本計画の中で女性の社会進出に向けた明確な数値目標を設定した。指導的地位に女性が占める割合を2020年までに30%まで伸ばすとした「2020年30%」のスローガンを打ち出した。なお、ここで言う指導的地位とは、以下3つを定義としている。

  1. 議会議員
  2. 法人・団体などにおける課長相当職以上の者
  3. 専門的・技術的な職業のうち特に専門性が高い従事する者
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